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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

ベトナムと沖縄~文化と平和の夕べ~
ベトナムと沖縄~文化と平和の夕べ~
平和村からのメッセージ
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 きのう,「ベトナムと沖縄~文化と平和の夕べ~ 平和村からのメッセージ」に行きました。すぐ近くの読谷村文化センター鳳ホールです。
 あのクエン・ドクさんが来るということで,期待していたのですが,残念ながら体調不良とのことで,来られなくなりました。
 それで,行かないつもりだったのですが,民商のShueiさんに,誘われたので行きました。Shueiさん,Teruyaさん,Aokiさんもいっしょです。

 ドクさんを見ることはできなかった(ビデオレターはありましたが)のですが,行ってよかったです。

 石川文洋さんのスライドとお話はよかったです。
 いろいろありましたが,その中からひとつ
 米兵に撃たれて倒れている村人の写真。それを見つめる妻。
 その後石川さんは,再びベトナムを訪れ,その村人にあいます。彼は片足をなくしていました。そして,もう妻はいません。あの後,彼は荒れて酒を飲み,家族にもつらくあたったようで,妻は子どもを連れて出ていったとのこと。
 戦争の後遺症とよく言います。体の後遺症。そして精神の後遺症。ぼくは,それらの後遺症のために,家族が崩壊し,そして彼の人生が台無しになる。それも後遺症なのだろうとつくづく考えされられました。

 ドクさんの主治医で,ツーズー病院平和村の村長さん,グエン・ティ・フォン・タンさんは「枯れ葉剤と子どもたち,ベトさん・ドクさんのこと」ということでお話されました。

 平和村の子どもたち,そして何よりも瓶詰めにされた胎児たち。目を背けたくなります。背けたらいけない,と自分を励ましながら見ました。

 会沢芽美さんは「チムグルサン」を使っていましたが,まさに「チムグルサン」です。沖縄方言で,「チム」は,肝で,沖縄では「心」に近い言葉です。「肝が苦しい」ですね。直訳すると。
 まさにそのチムグルサンというもの。
 米軍の行いに激しい怒りもわきます。
 そのためにも憲法9条を守ること。まずはそれかな,と思いました。

 ベトナム戦争は1960年~75年となっています。ぼくが小学生のときから大学生になるまでです。
 首里に住んでいたので,ニュースなどでしか知りません。しかし,沖縄の祖国復帰運動で,デモに参加することもあり,その中でベトナムのことはよく聞きました。

 高校生のときに,デモで嘉手納,読谷まで行きました。ぼくが座り込んだのがちょうど嘉手納の滑走路のところで,真上をB52が離着陸していました。がまんできずに耳をおさえる音でした。

 「沖縄を返せ」といっしょにあのころよく歌った歌「一坪たりとも渡すまい」の一節をまだよく覚えています。

 黒い殺人機が きょうも
 ベトナムの友を 撃ちに行く
 世界を結ぶ この空を
 再び戦で 汚すまい
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