ぼくが大学生に入学したころに読んだ本に加藤周一の「読書術」があります。
ぼくが読んだのはカッパブックスですが,画像がないようなので,岩波文庫のものを載せます。
そのp24から引用します。
私は学生のころから、本を持たずに外出することは、ほとんどなかったし、いまでもありません。いつどんなことで偉い人に「ちょっと待ってくれたまえ。」とかなんとかいわれ、一時間待たせられることにならないともかぎりません。そういうときにいくら相手が偉い人でも、こちらに備えがなければ、いらいらしてきます。ところが懐からー巻の森鴎外をとり出して読みだせば、私のこれから会う人がたいていの偉い人でも、鴎外ほどではないのが普通です。待たせられ るのが残念などころか、かえってその人が現われて、鴎外の語るところを中断されるのが、残念なくらいになってきます。なにも偉い人にかぎらず、この人生に私たちを持たせる相手は、いくらでもあるでしょう。その相手が歯医者でも、妙齢の婦人でも、いや,すべてこの国のあらゆる役所の窓口でも、私が待たせられて、いらいらするということは、ほとんどありません。次の急な約束をひかえていないかぎり、また、待つ場所が肉体的苦痛をあたえるような場所でないかぎり、私はいつも血わき肉おどる本をもっていて、その本を読むことは,歯の治療や、役所の届け出や,妙齢だが頭の鋭くない婦人との会談よりは、はるかにおもしろいからです。
徒然草の「見ぬ世の人を友とするぞ」に通じますね。森鴎外の本を取り出せば,もう鴎外と友になっておしゃべりを楽しんでいるようなものです。
ぼくは,その本を読んでから,ポケットにいつも本を持って出かけるようになりました。ちょっとした時間があると本を広げました。
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