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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

「庭球」の読みは「テニス」?
  『中学生のほとんどが「庭球」のふりがなを「テニス」にするんだよ。』

 Kyokoが言いました。

 中学生の漢字の練習では,こちらが新出漢字の熟語をリストにして,それの読みを生徒が調べたりして,書きます。

 『「庭球」に「テニス」と書く子が多いのよ。「ていきゅう」と書く子の方がかなり少ないと思うな。』

 言葉の乱れ論について話しているときにKyokoはそう話しました。

 『よくモノを知らない人が自分の好みを押しつけているのが「言葉の乱れ論」の実体』

という石原千秋氏の意見にぼくも賛成です。

 とすると,「庭球」を「テニス」と読むのも多数になると認めなければいけなくなるのでしょうね。

 ほとんどの子どもたちは,蹴球,籠球などは読めないようです。野球は当然読めます。「やきゅう」と。それを「ベースボール」という子はいない。「ベースボール」は,「ベースボール」で知っているようです。

 「庭球」はよく目にする漢字なのでしょうね。そして,意味も分かる。しかし「ていきゅう」と読むことはないようです。ただ,「庭球」に「テニス」とふりがなをつけた子に「これ,間違えているよ」と指摘すると,「じゃあ,ていきゅうと読むの?」とすぐに直せはするようです。「庭」を「てい」,「球」を「きゅう」と読むことはよく分かっています。

 熟字訓というのがあります。

 熟字訓(じゅくじくん)は、日本語において漢字の単字単位ではなく熟字単位で訓読み(訓)を当てたもの。単字に分解してもそれぞれに熟字訓の要素は現れない。また、読みの方でも分節不可能なものが多い。
 梅雨(つゆ),時雨(しぐれ),紅葉(もみじ)など。


 紅葉は,「こうよう」 と読むこともできます。「もみじ」と読むとき,紅は「も」でも「もみ」でもない,「紅葉」で「もみじ」というのですね。

 とすると,「庭球」を「テニス」と読むのも悪くはないかもしれません。大多数がそのように読み,それが定着すると,学校でも「庭球」に「テニス」と読み仮名をすけても正解になる日も来るかもしれません。

 「籠球」などは「バスケットボール」と書くよりずっと,字の数が少ないので便利かもしれません。

 生徒のTシャツに,「羽球」とありました。「バドミントン 」のことだなとすぐに分かりました。漢字って便利ですね。「うきゅう」と読むようです。

文の成分をあぶり出す
 中学の国文法で,文の成分を学びます。

 文の成分は,述語,主語,修飾語,独立語,接続語の5つです。

 文の中で「どうする・何だ・どんな」を表す語句が,述語
 文中の動作・状態などの主体を表す語句が主語,
 語句をくわしくする語句が修飾語,
 他の文節と直接の係り受けの関係がない語句が独立語,
 文のあとの部分に対して、条件や原因(理由)などを示す語句が接続語です。

 これだけの説明で,分かったら天才です。

 ぼくは次の順序で,文の成分をあぶり出すように教えます。

 まずは,文節に区切ります。

 述語。ふつうの日本語で一番最後に来るのは,述語です。だから述語は一番分かりやすいです。

 次の[ ]内が述語です。

(1) 私は 明日 つらねさんに [会います]。
(2) あの 赤い 大きな 家に その 犬は きっと [いる]。
(3) 涼くんだけが ぼくを [助けた]。

倒置の場合は,別ですが,文法では倒置はまず出ません。

 さて,述語が分かったら,それの主語を探せばいいのです。上の文では,

(1)「会います」→ 「だれが」→ 「私が」・・・だから「私は」が主語
(2)「いる」→「なにが」→ 「犬が」・・・だから「犬は」が主語
(3)「助けた」→「だれが」→「涼くんが」・・・だから「涼くんだけが」が主語

 次は独立語をあぶり出します。
 独立語は文の初めにあります。そして,句点で区切られている。また,「が」「は」「を」などの助詞がついていない。独立語は慣れればすぐに分かります。
 次の文の[ ]内が独立語です。例をいくつか見れば,感じが分かるはずです。

(1) [慧くん、]すぐ来てください。
(2) [まあ、]すばらしい。
(3) [6月23日、]それは慰霊の日です。
(4) [もしもし、]咲貴さんですか。
 
 次は,接続語をあぶり出します。

(1) 熱がある。だから、学校を休んだ。
 この文のような接続語はすぐに分かりますね。「だから」です。接続詞「しかし」「つまり」などは接続語です。

 少しやっかいなのは,接続詞でない,2語以上の接続語です。

 次の[ ]内は接続語です。
(2) [雨が降ったので、]出かけなかった。
(3) [風が吹くと、]波が立つ。
(4) [帰ったら、]すぐに寝る。

(2)は,「雨が降った。だから,」と書き換えられます。このように一単語の接続語をはさむニ文に書きかえられれば、前の部分は接続語です。

 語句をくわしくする語句は修飾語です。主語、述語、独立語、接続語でなければ修飾語です。次の[ ]内は修飾語です。
(1) 私は、 [とても] うれしい。
(2) わあ、 友里乃さんが [ヒットを] 打った。 
(3) 雨になっても、 私たちは [明日] 出発する。
このように,ひとつ一つあぶり出していくと,文の成分も区別できます。

物語文は,なぜ説明文よりむずかしいか
 高校受験夏期学習,国語の時間,ぼくは次のように話しました。 

 「ある意味では,物語文のほうが,説明文より難しいんだよ。」

 生徒は,そんなことないだろう,という反応。

 確かに,説明文の方が難しい内容であることが多い。難しい内容を説明しているのだから,説明文は難しい。

 でもね,説明文を書く人は,とにかく分かってもらいたいという気持ちが第一なんだ。作者の頭の中にあることを読者の頭の中にコピーしたいと思っている。そのために何度もいいたいことを繰り返す。「自然が大切だ」ということを言いたいなら,その文に「自然が大切だ」ということが何度も繰り返し出てくるはずだ。
 書かれていることを素直に読めば理解できるように工夫しているんだよ,作者は。

 しかし,物語文はちがう。物語はおもしろくなければいけない。おもしろくするために,作者はいろいろな手を使う。意図的にと書かないこともあるんだ。

 あなたたちは星新一の「ぼっこちゃん」を読んだね。
 次のページ参照
 http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-506.html
 (みんなボッコちゃんは大好きです。)

 あの小説では,お客やマスターが死んだことは書いてないだろ。それを書いたら,おもしろくないからだよ。

 ボッコちゃんはロボット,青年が毒いり酒をボッコちゃんに飲ませる,もちろんボッコちゃんは死なない,管を通って落ちてきた毒入り酒をマスターがお客に差し出し,自分も飲む

 それを読んで,お客は死んだということを読みとらなければいけない。読みとることができれば,おもしろい。
 そこで,「お客もマスターも死にました」なんて書いたら,もうこの小説は台無しなんだよ。

 このように,物語文の作者は,意図的に書かないことがあるんだ。おもしろく読んでもらうことが目的だからだ。
 その書かれていないことをぼくらは読みとらなければいけないんだ。
 だから,入試問題では物語文が難しいことがある,それを理解するように。

 この説明にみんな納得した表情でした。

  「ニッポン」「ニホン」,なぜ2通り?
  日本は,「ニッポン」と読んだり,「ニホン」と読んだりします。

 なぜ,そのように2通りの読み方になったのか,小池清治著「日本語は悪魔の言語か?」に,その説明がありました。


 ぼくなりに整理しながら書きます。正確には,前著を参照してください。

 もともとは,「ニッポン」だったのです。「ニホン」という言い方はなかった。

 まず「ッ」。
 ぼくは,この本で指摘されるまで,「ッ」を発音している気になっていました。しかし,「ッ」なんて発音はないのです。「ニッポン」というとき,「ニ」の後にほんの少々休みがあるだけです。「ニ」と言って,急ブレーキをかける,という感じでしょうか。自分で意識して「ニッポン」と発音してみてください。その感じが分かるはずです。

 ローマ字では,「ッ」を次の子音を重ねて表しますね。「ニッポン」は,「nippon」です。niとpoの間に小休止がありますよという記号です。

 そして,この「ッ」を表す字が以前はなかったのです。だから「日記(ニッキ)」は,「ニキ」と読み仮名をつけるしかなかったのですね。「ニッポン」の「ッ」もなく「ニポン」と書くしかなかった。
 この「ッ」は記号で,だいぶ後になって発明されたのです。

 次は「ポ」です。「パピプペポ」の字もなかったのです。右肩に○をつけて,「パ行」を表すことがなかった。バビブベボもなく,「ハヒフヘホ」と書いていた。
 そういえば,百人一首の字。
 「かたぶくまでの つきをみしかな」は,「かたふくまての つきをみしかな」と書かれています。濁点(点々)がありません。

 だから「ニッポン」の「ポ」は,「ホ」と書くしかなかったのです。

 「ニッポン」の「ッ」をとって,「ポ」の○をとって「ホ」にすると,「ニホン」になってしまいます。昔は,「ニホン」を「ニッポン」と読んだのです。
 しかし,それをそのまま「ニホン」と読むようになった,つまり間違えて読んだのが「ニホン」です。

 現在の「ら抜き言葉」のようなものです。間違えていても多くの人が使うようになれば,それは正式に認められます。しかし,その間違いには合理性があります。

 このように間違えて読んだのが「ニホン」で,それが定着したのです。

 「なるほど!」です。

 でも,ぼくは,「ニッポン」より,「ニホン」が好きです。柔らかい感じがするからです。好きな読み方をしてもいいそうなので,それぞれです。

 なお,いろいろ検索すると次のページに出合いました。おもしろいです。
 特に「日本航空」は,100%の人が「ニホンコウクウ」と読むが,正式には「ノッポンコウクウ」だというところはおもしろかったです。

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枕詞は,和文通話詞
 若い人は,よく知らないでしょうが,以前は,電報をよく利用しました。電話で電報を申し込むこともありました。本土や外国に電話をかけるとものすごく高いので電報にするのです。

 近くの電報局に電話をします。そのとき,聞き違いなどを防ぐために,
 朝日の「あ」,いろはの「い」,上野の「う」,英語の「え」 などと言いました。

 「あ」だけ言ったら聞き間違いがおこるので「朝日の『あ』」のように言うのですね。これをまとめたのを「和文通話表」と言うそうです。

 さて,和歌に「枕詞(まくらことば)」というのがありますね。

 「あしひきの」「たらちねの」「ひさかたの」などです。

 「あしひきの」が来たら,それに続いて,「山」および「山」を含む語「山田」「山鳥」などが来ることになっています。

「たらちねの」が来たら,「母」「親」です。

「ひさかたの」は,「天(あめ・あま)」「空」「月」「雲」「雨」「光」「夜」「都」です。

 要するに,枕詞があったら,次にどのような言葉が来るか予想できるのです。

 いま,小池清治著「日本語は悪魔の言語か?」を読んでいますが,昔の和歌は耳で聴くものだったそうです。声にして発し,それを耳で受け止める。だから,電話で話しているようなもので,聞き間違いが起こる可能性があるのです。「光」だけでは,聴いている人が分からないかもしれないので,「ひさかたの」を前につける。すると,聞き間違えることがなくなりますね。

 これを読んで,ぼくはなんだ,枕詞って「和文通話詞」ではないか,と思いました。

 枕詞をぼくは,修辞法の一つと教わりました。それはそれで間違いではないでしょうね。とても高尚なもののように思っていました。でも,なにか飾りというより,聞き間違いがないようにするものだ,というのはとても納得です。

 和歌が書いて読むものに変わっていくに従って,枕詞もすたれていったようです。

 上の説明はぼくなりのものです。正確には,下の本をお読み下さい。 

日本語は悪魔の言語か?―ことばに関する十の話 (角川oneテーマ21 (B-44))


擬態語を解せぬ欧米人
 まずは,塾で使っている教材「国語だいすき小学4年」から引用します。ブログの形式にあわせて少々手を加えてあります。
基礎学力アップ 国語だいすき 小学4年生

 「音まね語」(擬態語)について学んだあとのページです。

  つぎの文中の[ ]のことばは、ものの動きやようすをあらわしていることがわかります。「音まね語」とくらべて、どこがちがっているか考えましょう。
 風船が [ふわふわ] 飛んでいく。

問題1 ( )にあうことばを[ ]からえらびなさい。
① チョウが( )とまうように飛んでいった。
② へびが( )とはっていく。
[ひらひら にょろにょろ]

 上のように、ものの動きやようすをまねてあらわすことばを「ようすまね語」とよびます。

問題2 つぎの文の( )にあう「ようすまね語」をえらんで書き入れましょう。
① 父は( )おこって帰ってきた。
② おじさんは( )とつかれきった様子だ。
③ 地しんのため家が( )とゆれている。
④ ふくろうは目を( )させながら止まり木にとまっている。
⑤ 両力士( )と四つに組んで動きません。

[ がっぷり ぐらぐら ぐったり ぷんぷん ぱちくり ]


「ようすまね語」というのは,擬態語(ぎたいご)を子どもむけに表した言葉です。このページ,小学4年の子どもたちはほとんど迷うことなく正解に達します。やさしいページのひとつです。みなさんも間違えることなくできましたね。

 でも,それはみなさんが日本人だからだそうです。
 欧米には,擬態語がないようで,苦手だとのこと。「日本語は悪魔の言語か」には,それが描かれています。
日本語は悪魔の言語か?―ことばに関する十の話 (角川oneテーマ21 (B-44))

 フランスの留学生,もう日本語はとても上手になりました。机を軽くたたいて,どのように聞こえるか,とたずねたそうです。とても困惑していました。日本の子どもたちなら,コツコツとか,コンコンとか答えるそうですね。

 次に机を強くたたいた。そしてどう聞こえたかと尋ねる。困った顔をしながら,さきほどより,大きい音がしました,と答えました。
 日本人なら,ドンなどと答えるでしょうね。

 擬態語がなければ,小さい音,大きい音などと説明して答えることになります。とにかく,日本人なら子どもでも簡単に分かる擬態語を欧米人が理解するのはとても苦労するとのこと。

 さあ,次の引用文を読んでみてください。

 ブルガリアの首都ソフィアから来た女子留学生の場合はもっと深刻でした。

 来日して間もなく、彼女は猛烈な腹痛を覚え、病院に駆け込みました。医者が尋ねます。

「きりきり痛みますか? それとも、しくしく痛みますか?あるいは、ずうんと痛みますか?」

 このように尋ねられて、難しいクイズを出されたような気分になったといいます。彼女にとって「きりきり」「しくしく」「ずうんと」の差は濃霧の中で、これらの区別が全くつかなかったのです。医者は子供でもわかる平易な日本語で金髪の留学生に尋ねました。親切のつもりであったに違いありません。しかし、この日本語はいかにも日本語らしい日本語であって、欧米系の外国人留学生にとっては決して平易な日本語ではないのです。

 どう答えてよいかわからぬまま、彼女はこう答えたそうです。
「ナイフを右腹にさしこまれたように痛みます。」
 医者は「ああ、きりきりですね。」と応じて、処置にはいりました。

 彼女の表現力が命を助けたわけですが、この経験には副産物がありました。「日本語の擬態語研究」が彼女の修士論文のタイトルになったのです。こういうわけで、彼女の修士論文のテーマは命懸けで見つけ出されたということになります。


 この部分を読んで,ぼくは声をあげて笑ってしまいました。まわりにだれもいなかったのでよかったです。

「謂ひおほせて何かある」
 きょうも、「日本語は悪魔の言語か?」からです。
日本語は悪魔の言語か?―ことばに関する十の話 (角川oneテーマ21 (B-44))


 著者小池氏は、

日本語の韻文が短縮化への道を歩んだのは、主客合一を理想とし、その実現の手段として、読み手により多くのものを委ねようとしたためでありました。
松尾芭蕉(一六四四~ー六九四)の次の言葉は、日本の韻文の本質を的確に言いきっています。


 として、「去来抄」から引用しています。その訳だけ。

下臥(したぶし)に つかみ分けばや いとざくら
(風にゆれる枝の下に臥して摑みわけたいと思う糸桜であることよ。)

亡くなった芭蕉先生が道々私に語って言うには、「最近、其角が編纂した俳句集にこの句がある。どう考えて採用したのだろうか。」と。

 去来が言うには、「糸桜が十分に咲いている様子の表現上手に言い切っているのではございませんか?」と。

 芭蕉が言うには、「謂ひおほせて何かある(言い切ってしまって、何があるというのだ)」と。

 この時、心に深く刻みつけるようにし忘れられないことがありました。初めて、発句として成立するものと、発句として成立しないものとがあるということを知りました。]



「謂ひおほせて 何かある」

 100%言い切ってしまっては、だめだということでしょうね。7~80%だけ言って、後は読む人が補うというのがいいということでしょう。
 読者は、書いてあることを読み取るだけではなく、読者もいっしょに作るということに参加させるのです。

 前に、「物語文は,なぜ説明文よりむずかしいか」という記事を書きました。
 物語文は、故意に書かないことがあるんだよ、ということでした。
 芭蕉につながっているなあ、と感じました。

 書ききってしまっては、おもしろくないではないか。読者は読むだけではなく、書かれていないことを自分なりに作り上げることが大切なんだよ、ということを言っているのでしょうね。
 
 書き手が書いて、それを読者が読み取る、そういう読者を受け身にしてしまうのではなく、読者を能動的に読ませる、それが文学なのかもしれません。

 それができないから、ぼくは文学が苦手なんだ、と改めて感じました。とくに俳句は難しい。難しい理由が分かったように思います。

「分かりやすい文章」の技術 (ブルーバックス)

 に、読者に気を遣わせる、読書を考えさせる文章は分かりにくい文章だ、というようなことが書かれていました。だから、分かりやすい文章を書くには、読者が考え込まないように親切な文章にしなければいけないのです。

 ぼくは、できるだけそう心がけてきました。

 でも、芭蕉に言わせれば、「分かりやすい文なんと、おもしろくもないよ」でしょうね。

 ぼくが書くのはほとんど説明文です。分かりやすいのを今後も心がけますね。
 ただ、このブログにも説明文でないのがいくつかあります。塾での生徒の様子やプライベートなことです。それを書いているときは、ぼくは文を書くのが下手だなあ、とつくづく思いますね。



「熟語引きコンピュータ・ワープロ漢字辞典」
  「コンピュータ・ワープロ漢字辞典」というのがありますね。いま,アマゾンで検索したのですが,ほとんどが絶版になっています。

 ぼくは,書店で手にとって,買うのをやめました。「コンピュータ・ワープロ漢字辞典」というのが,コードを載せているということだけで,特に必要としないからです。ぼくは,読めない字を入力するときは,わざわざコードでなく,「手書き文字入力」を使います。それで十分です。コードを使い慣れていないからかもしれませんが。

 キーをたたいてすぐに文字が出てこないことがありますね。
 例えば,ぼくの名前は「仲松庸次」ですが,「庸」は,「よう」を打って,その中からさがすとなるととても時間がかかります。「ヨウ」の字が多すぎるからです。それで,「中庸(ちゅうよう)」と打って,「中」を抹消します。このように,適当な熟語を打つと,その文字がすぐに出てきます。熟語の知識があれば,ワープロは楽に打てます。
 手書き入力という手もありますが,時間がかかりすぎます。それよりは,熟語からがとても楽です。
 だから,特に人名を打つときなど,この字を使っている熟語は何かな,と考えます。このようなときに対応できる「コンピュータ・ワープロ漢字辞典」があれば,と思うのですね。

 できれば,その漢字が先頭にある熟語がいいですね。
 例えば,「泰」。「安泰(あんたい)」と打てばすぐに出てきますが,先頭ではない。だから,一つ飛び越えてから,「安」を消すということで,少し手間がかかります。それに対して,「泰平(たいへい)」「泰子(やすこ)」なら,Back space(後退)キーを一回押すだけで,「泰」になります。

 このように打てば,あなたの入力したい漢字が楽に出てきますよ,という辞典があればなあと思うのです。

 泰(タイ・やす)・・・泰平(たいへい),泰子(やすこ)

 のようにすればいいですね。五十音順に配列します。音読み,訓読み,どちらにも対応させます。泰の場合,「タイ」のところに載せます。そして,「やす」の項には,「→タイ(p78)」のようにします。総画数,部首からも引けるようにしたらいいですね。

 これなら,売れると思うのですが,どうでしょう。このブログを読んで,どこかの出版社がそういう辞典を作ってくれないでしょうか。それを使うのはPCを使っている人だから,紙にしないで,PC辞典にしてもいいですね。

 なお,「庸」の字が先頭にある熟語がぼくは未だ思いつきません。「中庸・凡庸」というように二番目にきます。
 「庸次」はよく使うので,単語登録はもちろんしています。しかし,別のPCを使うときは必要です。

傍線部の記号をメモする
 入試,定期テストの国語,英語,読解の問題では,

「傍線部(1)について・・・・」

 というような設問が一般的です。

 ずらずらと書かれている長い文を読んで,設問を読む。そして,「(1)はどこにあったかな?」と思ってさがすのですね。普通は。
 長い文だとそれを探し出すのに時間がかかります。

 高校入試,英語の場合,ぼくは設問から読むように言っています。設問を読んでから,長文の中から答えを見つける方が効率的です。

 しかし,国語の場合は,内容が分からないとやはり意味が分かりません。設問ではなく,問題文(本文)から読むように言っています。

 そして,国語の問題に関しては,
「読みながら,傍線部(1)が出てきたら,上の方に(1)とメモするように。そうすると,後で(1)をすぐに見つけることができるだろう。メモをするのに,たいした時間はかからない。後でさがすのがとても楽になる。ちょっとした時間だけどテストのときには貴重な時間だよ」
 と言っています。

 ちょっとしたことですが,時間を有効に使うことができますね。

漢字検定、別の子に受けてもらいましょう
 21日金曜日の漢字検定実施まで1週間足らずと迫った17日(月曜日)、塾にMさん(小学5年女子)を送ってきたMさんのお母さんが顔を出しました。

 「実は、急に旅行に行くことになったので、漢字検定を受けることができなくなったのです」とのこと。

 お母さんとしては、日をずらして受験できないか、と言いたかったのかもしれません。でも、受験日や時間をずらすことはきびしく禁止されています。

 ぼくは、すぐに言いました。
「別の子が受験できないか、さがしてみましょう。」

 漢字検定協会へは、名簿を提出していません。受験者数を提出しているだけです。だから、同じ級なら、だれが受けてもかまわないのです。

「受験料はもう協会に納めてあるので、協会からは戻ってきません。そのまま受けないともったいないです。もし、同じ8級を受けたい子がいたら、その子と相談して、受けてもらいましょう。そして、もし合格したら、全額をその子に出してもらいます。もし、不合格なら半額ということでどうでしょう。試験日まであと1週間もないので、勉強が十分できません。だから、このような形で受けたために不合格ということになりますから」

 お母さんは
「どうせ駄目だと思っていたので、そういうことでお願いします」とおっしゃいました。

 すぐに対象者はいないか名簿を見ながら検討しました。
 Kくんがいいんじゃないか、Kyokoが言いました。同じ5年生です。

 Kくんにお願いしました。事情を説明し、1週間足らずしかないけど、やってみないか、と。

 電話をしてお母さんと相談することにしました。すぐには通じなかったので、とりあえず受ける方向でその日から漢検対策の勉強を始めました。

 Kくんが家に帰ってあと、お母さんから電話がありました。事情を説明しました。あと1週間しかないことを知って、少しびっくりしていましたが、お母さんはすぐに承知しました。そして「K、どうする。受けてみたら。いい機会だよ」とKくんに言っています。Kくんも承知したようです。

 家に漢検対策のプリントを持たせてあったので、あと1週間しかないので、できれば家でもさせてください、とお願いしました。

 水曜日、その次の塾の日、Kくんは残りのプリントをすべてやってありました。お母さんといっしょにやったそうです。いい調子で進んでいました。

 セルフ塾では、合格できそうな下の級からの受検をすすめています。合格をする経験が次のやる気につながるからです。それで、Mさんは5年生ですが、小学3年終了程度の8級を受検することにしていました。
 
 Kくんにとっても8級は難しくなかったようです。

 金曜日、試験が終わったKくんがにこにこしながら言いました。
「漢検受けてよかった。楽しかった」

 ぼくもうれしかったです。合格の手応えもあったようです。合格できればいいですね。

作文指導の悩み
 沖縄県高校入試,国語では必ず作文が出題されます。
 テーマは,「マナーの大切さ」「(新聞やテレビのニュース等で接したことの中から)わたしがもっとも関心をもったこと」などです。

 この記事のタイトルを「作文指導の悩み」としましたが,
 どうしても,生徒の作文のアラを探してしまうのです。あら探しは,あまり好きではありません。

 ぼくの好きな清水義範の本に
 「清水義範のほめほめ作文道場」 があります。彼の弟は名古屋で学習塾をしているのですが,そこの生徒の作文指導を清水義範氏が行っているのです。東京にいながらファックスで。

 彼の作文指導は,「ほめること」です。生徒のいいところをできるだけ探し出して,ほめる,ということです。すると,作文が上手になるのですね。

 とってもとってもよく分かります。そうですよね。ほめることが一番です。

 ぼくもそうしたいなあと思うのです。生徒も気持ちよく作文を書くようになるでしょうし,力も伸びるでしょうね。

 でも,受験作文の指導となるとあら探しを始めてしまうのです。
 それは,仕方のないことです。
 受験は,合格することが目標です。合格する作文にしなければいけません。

 受験作文は,減点方式です。だから,合格するためには,減点されないように書かなければいけません。

 漢字が間違えていたら,「この漢字間違えているよ」と指摘。
 簡単な単語をひらがなで書いていたら,「これは漢字にしなさい」
 段落最初を一字空けないで書き始めていたら「一字空けなさい」
 行の初めに,句読点があったら,「句読点は最初に来ない」
 文の修飾関係が間違えていたら「この語は何にかかるの?」
 一段落目は,具体例をかきなさいという指示に具体例がないときは,「具体れにになっていないよ」
 だらだらと長い文を書いていたら「もっと短い文に分けなさい」
 など,などです。

 生徒のあら探しだけです。調べながら,清水義範氏の言葉を思い出し,「この表現とてもおもしろいよ」と書くことはありますが,少ないですね。

 小学生の作文は,ほめることが多いです。でも,受験生は時間がない。ほめておもしろい作文が書けるようにするよりも,減点されないような作文にするだけでやっとなのですね。

 合格させることが至上命令です。受験を前にしては,しようがないという感じです。



読まず嫌い
 「シェイクスピア物語,おもしろいね」
 シェイクスピア物語を読み終えたM子さんが笑顔で言いました。



 あのM子さんが,と思うと少しおかしくなります。

 はっきりした性格のM子さんは「読書は嫌い」と公言してはばからなかったのです。
 小学4年のときからセルフ塾にいます(たぶん)。小学生のころから読書を避けていました。

 学年トップの席次をもらったこともある子です。学力は高いです。でも,読書は嫌いだったのです。

 しかし,セルフ塾にはノルマとして読書があります。嫌いであっても読まなければいけません。M子さんもしかたないので読んでいたのでしょうね。
 そして,しばらく「読書はきらい」という言葉も聞かなくなっていました。

 そして,先日「シェイクスピア物語はおもしろいね」という言葉が発せられたのです。
 読書がおもしろいとはまだ思っていないかもしれません。しかし,少なくともおもしろい本というのはあるんだということは感じたのでしょうね。

 「食わず嫌い」というのがあります。「食べたことがなく、味もわからないのに嫌いだと決め込むこと。また、その人」ですね。

 ぼくの飲み友だちShueiさんはピーマンが大嫌いです。つまみに出された野菜炒めにピーマンが入っていると,細かいものまで一つひとつよりわけています。

 嫌いだと思うと,もう食べません。食べないから食べられるようになるはずがありません。

 読書はもっとひどいでしょうね。読書はおもしろくない,と思いこんだら,読書をしようとは思わないでしょう。ただでさえ読書は面倒です。長い時間,本とにらめっこをしなければいけません。それに比べると嫌いなピーマンと一口,口に入れるのは楽なことです。

 とにかく,食べなければ食わず嫌いは直りません。読まなければ読まず嫌いは直りません。

 前に,NHKのためしてガッテンで,高所恐怖症をやっていました。高いところが怖いと思って,高いところを避け続けていたらそのまま恐怖症のままです。たいていは,高いところに上ると怖いものですから,すぐに下りてくる。何度やってもすぐに下りてきたら高所恐怖症のままです。
 でも,怖くても高いところにしばらくそのままいるようにすると,高いところが平気になるそうです。
 ぼくも高所恐怖症です。まだ試したことはないのですが。

NHKためしてガッテン「誰も教えてくれなかった!高所恐怖症のナゾ
2007年12月12日放送

 セルフ塾では,嫌いな子にも強制的に読書をさせます。
 無理に食べさせられたために,もっと嫌いになる食わず嫌いはいるでしょう。
 無理に読ませられたために,もっと嫌いになる読まず嫌いはいるでしょうね。

 そうなったら残念ではあるのですが,まあしかたないかと思います。読まず嫌いの子は,セルフ塾で読むようにならなければ,たぶんそのまま読まず嫌いのままでしょう。
 しかし,中には読まず嫌いが直る子がいるのですね。M子さんのように。ぼくはそういう子は少なくないと思っています。だから,そういう子のためにも読書をさせ続けていきたいと思っています。

 読書はとにかく大切なものなのです。

中心ずばり書きの作文
 佳子さんの文が沖縄タイムスに
 

 で,中心ズバリ文について少し書きました。

 国語だいすきは,作文指導もおもしろいです。ただただ自由に書きなさいではなく,ある程度の技術も教えてくれます。

 その中の一つが「中心ズバリ文」です。

 新聞記事は,中心ズバリですね。読者が途中で読み終わってもいいように,最初に大切なことを書くように指導されるのだそうです。最初に1文にその記事の大筋を書くのですね。そして,だんだんと細かいところを書いていく。

 ぼくはこれまで文の書き方の本をいくつか読みましたが,このような書き方はよく出てきます。ぼくもある程度意識してこのブログも書いています。
 それを子どもにもなじみやすい「中心ズバリ」というので表現しているのは,おもしろいです。

 時間的順序の文とそれを中心ズバリの文に直したのを上下に並べて,それを読み比べてみる指導からなされています。

 ①つりに出かける,そのときの天気。
→②池についてつりの準備をし,釣り糸をたれる。
→③うきが動き,魚をつる。そのときの気持ち。
→④家路につく

 これが時間的順序の作文ですね。

 それを③の魚がつれる場面を中心にし,最初にもってくる。そして,それをできるだけていねいに長く書くというのが,中心ズバリの文です。

 佳子さんの作文では,
①検定を申し込む 
②検定にむけた勉強をする。 
③検定を受ける 
④合格した

 というのが時間的順序。
 それを合格したという感動を先にもってきて,できるだけ詳しく書くように指導するのです。

 実際の指導では,これから書こうとすることを時間的順序で箇条書きにしなさい。そして,その中で一番書きたいことの番号に○をつけなさい。それを先に詳しく書いてみましょう,ということにします。



小学館「小学漢字1006字の書き方辞典」
 きのう,嘉手納町のネーブル嘉手納,宮脇書店に行きました。生徒の問題集を買うためです。
 そこで,小学館「小学漢字1006字の書き方辞典」を買いました。かなりいい漢字です。


 いま,セルフ塾では,旺文社の「小学漢字1006字の正しい書き方」を使っています。これもとてもいい本で,重宝しています。
 なによりもいいのが,書き方がていねいに説明されている点です。漢字の書き方を省略せずに1画ずつ示してあるのです。子どもたちは,少しでも省略するとそこでつまずきが生じます。本当にていねいに一画ずつ書き方を示しているのがよかったです。

小学漢字1006字の正しい書き方―書き順・音読み・訓読みがすぐわかる


 きのう見つけた小学館の「辞典」も同じようになっています。

 旺文社の「書き方」は,「とめる」「はねる」「はらう」などの注意書きも添えられています。その他,「つきださない」「上の横ぼうより長く」などといったことも書かれています。
 だから,生徒が間違えた書き方をしたら,それを見るように注意すればよかったのです。

 小学館の「辞典」は,旺文社のものよりもさらに詳しくなっていました。その注意が多くなっているのです。京子は漢字にはうるさいです。彼女にこの辞典を見せると,とてもいいと感心していました。

 ぼくが旺文社のものよりもいいと思ったのは,漢字の意味がのっていることです。旺文社のものには,まったくのっていませんでした。この「辞典」にはのっています。
 例えば「往」は,「主」は,「※」の変形,「※」は,「止(あし)」と「王(大きく広がる)」を合わせて,足をのばしてどんどん進むこと。それに「彳(行く)」をそえて,どこまでも進んでいく意を表した。
(「※」は,象形文字で,ここに書き表せない字です)

 とあります。漢字の成り立ち,意味がのっているのです。すばらしい。漢字の成り立ちは,漢字をおもしろくします。
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 漢字には意味があってそれを理解することで,言葉の意味が分かってきます。
 「往復」は,「往(どこまでも進んでいく)」と「復(同じ道を重ねて行く)」で,進んで行って,その道を重ねて行く《帰る》)」ので,行って帰ってくるという意味だと分かるのですね。

 だから,漢字の練習では,意味もいっしょにおぼえさせたかったのですが,これまではできませんでした。この小学館の「辞典」はそう言う点で旺文社のものよりすぐれていると思います。

 ただし,値段が少し高いです。旺文社のものは本体600円ですが,小学館のものは800円です。今後塾ですぐに変更するかどうかは別ですが,いま選ぶとしたら小学館のものを高くても買いますね。


熟語の構成
前に漢字一つ一つの意味を覚えることが大切だとかきました。

小学館「小学漢字1006字の書き方辞典」
漢字検定には、熟語の構成を問う問題が出てきます。

※ 永久、岩石のように,同じ意味の漢字を重ねたもの、
※ 高低、天地のように,反対または対応の意味を表わす字を重ねたもの、
※ 洋画、予告のように,上の字が下の字を修飾しているもの、
※ 握手、着席のように,下の字が上の字の目的語、補語になっているもの
※ 雷鳴、地震のように,主語と述語の関係にあるもの

 このようなのは記憶力がものすごく抜群に優れてる人なら一つ一つの塾語の意味を覚えるかもしれません。
 それよりも負担が少ないのは、一つ一つの漢字の意味をきちんと覚え、それをこのような熟語の構成に当てはめるということでしょう。

 漢字には一つ一つの意味があるので,全く初めて見る熟語でもその構成を予測し,その意味を理解することができます。漢字のものすごく優れた点だと思います。その漢字の優れた点を十分に利用するには,一つ一つの漢字の意味をきちんと覚えることが大切なのです。

 そのために先に紹介した小学館の漢字に漢字辞典のように意味がしっかり書かれているものを利用するのは重要なことなのではないでしょうか。

 漢字検定に出題されるからという低次元の問題ではなく,漢字を利用するという立場からも漢字の意味を一つ一つきちんと覚えることが必要です。

漢字の使い方に工夫・・・「小学漢字1006字の書き方辞典」
 前に、「小学漢字1006字の書き方辞典」を紹介しました。


各漢字の書き方を1画ずつ、省略せずにすべて示しましてあること、
「とめ」「はね」「はらい」「つける」「出す」など、漢字を書くときのポイントが詳しいこと
漢字の意味がのっていること

 をあげ、すばらしいと書きました。

 今日、改めてこの辞典をにながめていて、別のよい面を見つけました。
 漢字の使い方、例がかなり工夫されているのです。

 例えば「来」の字です。音読みでは「ライ」です。その下に例として「来客 ,来週,未来,由来」が書かれています。ふりがながすべてついています。そこまでは普通の辞典です。

 訓読みは、「くる・きたる・きたす」です。その下に例として「春が来る・来る十月十日・出来事」という使い方がのっているのです。このように訓読みの例も詳しくのっているというのがこの辞典の特徴です。

 漢字の練習の時には、書きだけではなく読み方も大切です。漢字にはいろいろな読み方があります。それをできるだけ覚えなければいけません。このように詳しい使い方があると勉強しやすいと思われます。

 なお、旺文社の「1006字の正しい書き方」では、訓読みの例は「出来心」だけです。旺文社の場合は使い方として熟語にこだわっているところがあるように感じます。熟語にこだわると、音読みにかなり偏ってしまいます。訓読みが軽視されるのです。「春が来る・来る十月十日」は、熟語とは言えませんから。

 旺文社の「正しいかき方」もかなりいいと思っていたのですが、この小学館の「1006字の書き方辞典」はそれをさらに上回るものだと感心しています。


次のページには
「小学漢字1006字の書き方辞典」の小学館側からの詳しい紹介がのっています。

http://www.web-nihongo.com/dictionary/dic_58/d-index.html

「ティー」と「チーム」
 「ガンジー」と「ガンディー」とどっちが正しいの?、とある生徒が尋ねました。

 どっちも正しいよ。間違っていないよ、と答えました。

 じゃあ、なぜ二つの言い方があるの。

 もともとは一つなんだけども、日本人がそれをどのように聞いたかによって、そして、それをカタカナに直す時に二つの言い方になったんだよ。

 多分、最初は「ガンジー」と聞いたんだろうね。日本語には「ディー」という音がないから「ジー」に聞こえた。

 そのうちに、日本人の耳も慣れてきて、どちらかと言うと正確な「ガンディー」という言い方も出てきたんだと思う。

 みんなは野球の「チーム」というだろ。チームは team と書く。どちらかというと「ティーム」と発音した方がいいね。
 明治のころ、「ティーム」という発音を聞いた人は、「ティー」という音が「チー」に聞こえたんだろう。だから「チーム」になった。日本語には、もともと「ティー」という音はないから。

 では、紅茶、お茶のことを英語ではなんていう?

 ティー。

 そう、お茶のことを「ティー」っていう。これを「チー」といったらおかしいね。
 「アイスチーをください」なんて言ったらみんなに笑われてしまう。

 お茶の「ティー」は tea と書く。この「ティー」も「チーム」の「チー」も同じ音なんだ。「ティー」というカタカナにするころには、日本人の耳が英語の発音に慣れてきたんだろう。

 このように同じ英語の発音も聞き方によってちがったように聞いてしまった。

 こんな感じで「ガンジー」と「ガンディー」も出てきたんだよ。たぶん。

辞典によって,筆順や画数が異なる
 漢字検定では,筆順や画数が出てきます。

 漢検の前,2週間は漢検対策をします。過去問題を解かせるのです。そこで,分からない字については,漢字辞典でちゃんと調べるように指示します。

 さて,もうだいぶ前,漢検対策をはじめたころです。

 漢字辞典を調べて書いたが,×になった,と言ってくる子がいました。
 そんなことはないだろう,と確かめてみたら,生徒の言っていることが正しいのです。

 例えば,干潟の「潟」です。「臼」の部分。それを漢字辞典にある筆順と解答が異なるのです。最初のころはぼくも混乱しました。

 しかし,そのうちに分かったのです。筆順や画数に絶対はないのです。そして,漢検は,漢検協会の出している辞典の通りでないと不正解になるということが,

 さて,「潟」の「臼」の部分
 旺文社小学新漢字辞典では,周りを書いてから中を入れていきます。
 漢検常用漢字辞典では,左側を書いてから右側を書きます。
 つまり,
 「臼」の,1画目「ノ」,2画目「|」まではいいです。
 3画目,旺文社小学新漢字辞典では,右側の「7」に行きます。
 それが,漢検常用漢字辞典では,左の真ん中の「一」に行くのです。

 漢字辞典によって筆順が異なるのです。だから,漢字辞典を調べて問題を解いても間違いということになります。

 また,「離」の総画数は,旺文社のものが「19」,漢検のものが「18」です。

 辞典によって異なる筆順,画数の問題は出さないで欲しいのですが,実際に出てきます。

 辞典によって異なるのは,それほど多くはないのですが,しかたありません。
いまは漢検常用漢字辞典もそろえて,漢字の練習はそれでさせています。

 熟語の数では,旺文社のものが多いので,ふだんの学習ではそれを使ったほうがいいです。しかし,漢検の勉強となると,漢検の辞典が必要になるのです。

 統一して欲しいですね。または,漢検では,辞典によって異なる場合,どちらでも正解にするくらいの寛容な心が欲しいです。そうすると,自社の辞典が売れなくなるでしょうが。
 旺文社の方が,「漢検にも対応」のようなことで,筆順を合わせればもっと売れるようになるかもしれません。





「希」の書き順
 希望の「希」の書き順も生徒がよく間違えます。

 その前に「布」の書き順です。これは、「ノ」が1画目、「一」が2画目です。「左」ではなく、「右」の書き順と同じです。

 そして、「希」ですが、上の「メ」。これも「ノ」が先で、「、」が後です。

 だから、「ノ」「、」「ノ」「一」と来るのです。

 いま「書き方辞典」で確認しながら書いているのですが、「布」は小学5年で、「希」は小学4年で学ぶのですね。「布」を学んでから「希」を学べば、子どもたちも楽だと思うのですが、使用頻度で順番を決めているようなので、子どもたちも大変です。それはまた次の機会に。

 きのう、小学4年生のTaikiくんが「希」の練習をしているのですが、なかなか正しい書き方をしてくれません。
「書いてごらん」で、書かせて、「ブー、間違い。ちゃんと調べておいで」と返します。そして、
「もう大丈夫」と言って挑戦するのですが、また「ブー」
 
 何度も何度も行ったり来たり。

 書き順がきちんと書かれている旺文社の「小学漢字1006字の正しい書き方」を持っているのですが、もう思いこみがあるので、きちんと見ないのですね。

 それで、「1006字を持っておいで」と言って、目の前で、書かせました。「はい、1画、2画、3画」
 そのときです。3画目をまったく見ていないのです。3画目は「ノ」ですが、「一」だと思いこんでいるので、見ないで「一」を書くのです。

「ほら、ちゃんと見なさい。3画目は何?」

 そのときに、「あああ」と言って気付いたようでした。

 その様子を見ていた小学5年生数人に書かせてみると、間違えている子が多かったです。

 妻の姪の名前は「Yukiko」。「希」の字が入ります。彼女が成人してから(だったかな、高校生のころかな)、自分の名前を間違えた書き順で書くので、妻が注意すると、「自分の字なのに、これまでずっと間違えて書いていたんだ」と感心(?)していたそうです。

 「有」も「ノ」が先です。よく間違えます。
 

まい晩、身なげをするやつは、おまえだろう・・・何がわからないのかわからない
 中2のN君は読書として「日本のわらい話」を読んでいます。


 その中に「身なげ」という短い話があります。わずか2ページの話です。

 両国橋で毎晩のように身投げがあります。番人が見張りをします。すると
 

 あやしい人影があらわれて、橋のらんかんを、くぐろうとします。
 それっとばかり、番人は走り寄り、うしろから、むんずと、かかえこんでいいました。
「やいやい。まい晩、身なげをするやつは、おまえだろう。」

 さて、この話しの面白いところがNくんには全く分からないようです。
「これは笑い話なんだけども,この話しのどこが笑えるところなの?説明してごらん」
 と僕は問いかけました。

 適当に答えているうちに,この「毎晩身投げをする奴はお前だろう」というところを読み上げました。

 笑い話のおちは一番最後にあります。よくわからなくても一番最後の行がポイントになるのです。

 それで
「確かにそこが面白いところだ。では,この『毎晩身投げをする奴はお前だろう』の何が面白いの?」
 と僕は訊ねました。

 それに対して,あれやこれや言うのですが,まったくピントが合いません。

 そうこうするうちに 15分ほども立ったでしょうか。

 小学生も目の前にいます。そのぼくらの会話を聞いていたの小学生の一人Sくんが,「『身投げ』って何?」とぼくに尋ねました。

 僕は,そのとき「しまった」と思いました。僕にとって「身投げ」というのはよく知っている言葉です。その言葉の意味を知らない,ということもあるということを,うっかりしていました。

 Nくんは言葉のひとつ一つの意味は分かっているが,状況を思い浮かべることができないから理解できないんだ,と思って,何度も似たような問いかけをしていたのです。

 それでN君に「身投げって何か知っている?」と尋ねました。

 すると「知らない」というのです。

 この短い文の中で「身なげ」を知らないで,この文の意味がわかるはずがありません。

 それで,「それでは辞書を引きなさい」といいました。

 小学生もそのときには,ぼくらの会話に関心をもっているので,さっさと辞書を引いて納得したようです。辞書引きも小学生が速い。

 Nくんも辞書を引き,意味は分かったようです。でも,すぐには,おもしろさが分からないようです。

 でも,しばらくすると何とか納得したようでした。

 さて,
 「まい晩、身なげをするやつは、おまえだろう。」
 の意味がよく分からない。ぼくに何度問われても分からない。15分もです。そして,その中の「身投げ」という意味が分からないのです。

 そこで,なぜ「身投げって何だろう」と疑問に思わなかったのでしょうか。ぼくにはそれが分かりません。

 何が分からないのか,まったく分からないのでしょうね。身投げの意味が分からないから,分からないんだ,ということが分かれば,辞書を引けばいいのです。

 小学生のSくんは「身投げって何?」と言いました。その言葉がネックになっているのが分かったのでしょう。そこまでくれば解決は早い。

 でも,何がネックになっているのか分からない子は,道を開いていくことができません。

 そういう,何が分からないのか分からない子の指導をどうすればいいのか,ぼくの課題です。
 

音読みと訓読み

 「音読みと訓読み」について調べていたら、見事に説明してあるページが見つかったので、転載します。

http://qanda.rakuten.ne.jp/qa2782795.html

 「山」という字が中国から入ってきたとき、これを中国読みに「サン」「セン」と読んだのが、訓です。なんだこれは、日本では「ヤマ」のことだぜ、だったら「ヤマ」とも読もうよ。それで「ヤマ」が「音」として残った。日本人は両方の読み方を選択したのですね。 

 さて、中国から漢字が入ってくるとき、同じ時代に、同じ土地から、どっと入ってきたのなら問題はない。しかし入ってきた時代が違うと、そのときの発音が優勢になってしまいます。中国の出処場所も違うと、音が違ってくるのです。

 漢字は南北朝から、隋、唐の時代に主に入ってきましたが、中でも唐時代が一番多い。この唐代の言葉を「漢音」といいました。日(ジツ)、人(ジン)、文(ブン)、行(コウ)と読んだのが漢音です。

 それに対して、呉音と言うのは、漢音が入る前に、長い年月をかけて呉地方を中心とする広い地域から延々と入ってきたもので、出処も経路もまちまちで、漢音ほどまとまりがありません。呉音では、先の4つの漢字は、ニチ、ニン、モン、ギョウ、です。漢音が硬いのに比べ、呉音はやわらかい。 

 「老若男女」は「ロウジャクダンジョ」とも「ロウニャクナンニョ」とも読めるわけですね。

 そしてさらに、わが国の鎌倉・室町時代になると、今度は「唐音」が入ってきます。これは「唐」の時代ではなく、もっと後の「南宋、元、明」のころの漢字です。

 いずれにしても、こうした解説をしていると長くなって困りますが、音と訓の違いをもっと調べたら面白いです。朝刊は「チョウカン」で正解ですが「夕刊」は本当は「セキカン」でないといけないわけですね。一朝一夕(イッチョウイッセキ)と読むのですから。



その一文の初めの5字を書き抜いて・・・
 国語の問題で

「~~~を説明しているのは,どこですか。その一文の初めの五字を書き抜いて答えなさい」

 といった問題が出ます。

 その問題で間違えている生徒の多くが「一文」というのを軽く見ているせいです。この「一文」は大きい。

 ぼくは,その生徒が書いた答えを見て,本文のどこにあるかをさがします。
 そして,言います。

「あなたの書いてあるところは正しいよ。でもね,『一文』というときには,まる (句点)かの次から,次のまる(句点)までだよ。途中から書いてはだめなんだよ」

 「しかし」といったものが文のはじめについていて,それは大切はないと思っても,そこから書き始めなければならないのです。

 「一文」という意味をしっかり理解させて,「一文を」という設問が出たら,どうすればいいのかを教えるのも大切なことです。

○○字以内で答えなさい
 国語の問題で「○○字以内で答えなさい」のような問題があります。

 今、中学生は、期末テストに向けた勉強で、教科書準拠の問題を解いています。

 M君が習いに来ました。問題をみると 「十五字以内にまとめて答えなさい」という問題です。

 しかし、M君が書いた答えを見ると半分ほどしか書いていないのです。

 15字以内でいですから、数学的に考えると半分であってもかまわないということになります。8字しか書いていなくても間違っているわけではありません。極端な言い方をすると1文字でもいいということになってしまいます。

 「でもね」と僕はM君に話しました。
 「こういう何字以内という問題の時には 80パーセント以上ということになるんだよ」と。

「だから15字以内ということは 15字×0.8で12文字以上は書かないと正解にならないよ」と。

 問題を作成した人は正解が頭にあります。だから、だいたいそれに似たような答えでないと正解にしないのですね。

 小さなことではありますが、注意して教えておいた方がいいです。

「次の数を分母に根号がない形に直しなさい」
 中学生の学習を見ている人ならわかると思いますが、「分母の有理化」のことをいっているのです。

 今日で期末テスト対策の勉強は終わりです。今日までは教科書準拠の問題集などを解いていました。いまの教科書では、「分母の有理化」という言葉は使わずに、「次の数を分母に根号がない形に直しなさい」と説明的な表現をしているのです。

 言葉がやさしくなるからということで、問題そのものがやさしくなるわけではありません。

 「分母の有理化」という言葉を使いつづけていれば、子どもたちは何をすればいいのか理解してくれます。

 実際、ぼくが作ったテキストでは「分母の有理化」という言葉を用いていますが、子どもたちは何の抵抗もなく問題を解いてくれます。

 子どもの能力を低く見積もって、それに合わせていると、子どもの言語能力も伸びてくれません。

 少しは背伸びをするくらいの感じで、むつかしい言葉を使えば、子どもたちもそれについてきてくれるのです。

 最初は、よく分からずに使っているのでしょうが、使っているうちになじみになり、分かってくれるのです。

 前に読書が苦手な子として Nくんを紹介しました。
まい晩、身なげをするやつは、おまえだろう・・・何がわからないのかわからない
 N君が先日、早退届を提出しました。その理由を見ると、「いとこの結婚式のようなものに行くから」とありました。

 僕はそれを見て、彼に次のように言いました。

 「今日はこれで認めてあげるよ。しかし、この『結婚式のようなもの』というのは何なのか、お母さんにちゃんとを尋ねておいで。」

 そして、
 「このような言葉を生活の中でもきちんと尋ねるようにした方がいいよ」と付け加えました。

 お母さん方も子どもが理解しやすいようにということで、「結婚式のようなもの」という表現をしたのでしょう。

 しかし、わからなくてもいいから、ちゃんとした言葉を使うべきだ思います。

 「結納」のことだったのではないかと思います。「結納」では分からないから「結婚式のようなもの」と表現したのかもしれません。

 小学生の女の子の話していると難しい言葉が出てきます。たぶん親が使っているのでしょう。

 わからなくても、そういう難しい言葉に触れていいることによって、それが理解出来てくるはずです。

 最初からわからないはずだからということで、幼稚な言葉を使っていてはいつまでも語彙力は豊富にならないと思います。

 福嶋 隆史著「『本当の国語力』が驚くほど伸びる本」を読みました。とてもいい本です。


 まず,著者が国語に関する考えとぼくのそれがよく似ています。似ている点はこれから少しずつ書き出していきたいと思っています。
 
 その上に,著者は実践の中で子どもたちの国語力を伸ばす方法を編み出しているのです。

 問題の与え方がすばらしい。
 ぼくは英語の本をプログラム学習の方式で作りました。プログラム学習とは,だれでも解ける段階から,階段を一段一段上るようにして進む学習法です。

 入試やテストの問題には絶対に出題されないようなだれでも解ける問題を作って与えているのです。

 だれでも解ける問題というのは,テストとしてはよくありません。テストというのはある意味で振り分けるものです。ふるいにかけるようなもの。これを理解しているか,まだ理解できていないのかをふるいにかけているのです。

 しかし,学習においての問題はふるいにかけるものではありません。理解し,学習が進むものです。だれでも解ける問題がいいのです。

 例えば,次のような問題を作って,子どもにさせています。

「トマト・にんじん・キャベツ」つまり「 」
「野菜」たとえば「 ・ ・ 」

 これだけを見たら「何,これ?」と思われるかもしれません。

 答えは,

「トマト・にんじん・キャベツ」つまり「野菜」
「野菜」たとえば「トマト・にんじん・キャベツ」

 です。

 これはパターンさえ分かればだれにでも解けます。しかし,それを解くことによって,抽象化,具体化を学ぶことができます。

 こういう問題を考え出すとはすばらしいです。

 それができるようになったら,少し難しい,抽象化,具体化の問題に進むのでしょうね。きっと。
 ほかの力を伸ばすための問題もあります。よく考えられていると感心しました。

 同じ著者による問題集が出版されるようで,アマゾンでは予約受付をしています。ぼくもさっそく予約しようと考えています。
ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集〔小学生版〕 (単行本(ソフトカバー))
福嶋隆史 (著)


国語とは「論理的な読み方・書き方」を学ぶ科目
 きのう紹介した福嶋 隆史著「『本当の国語力』が驚くほど伸びる本」から引用します。


〇大ウソ①国語の答えは1つではない。もっと自由な科目のはず

じつはこの言葉、「答えの数」を文字どおり気にしているのではありません。
その真意はこうです。
「国語は味わう科目なのだから、テストをやって答えを決めつけたりするな。そもそもテストなんかできないはずだ。文章の味わい方や感じ方に、決まった”答え”などない」

たしかに、文章の「味わい方や感じ方」に答えはありません。
自由です。いや、むしろ自由でなければなりません。
たとえば、感動の度合いを点数で評価するなんて、私も大反対です。

しかし、それはあくまでも、国語を「味わう科目」と位置づけた場合の話です。
国語とは「論理的な読み方・書き方」を学ぶ科目であり、「味わい方」を学ぶ科目ではありません。

さらに、「味わい方」はテストできませんが、「論理力」はテストできます。
もしあなたが、わが子の国語力を伸ばしたいという願いを捨てるのなら、「味わう国語」「センスの国語」を受け入れてもかまいません。
しかし、願いをかなえたいのなら、そんな考え方とは早くサヨナラすることです。

 ぼくもそう思います。国語の文は,自由に読んでおもしろがる面があります。また,作者がいいたいことをきちんと読みとるということも必要です。

 文を書いた人は,何かを伝えたくて書いているのです。だからそれを正確に受け止めることが大切です。それができない人はそれをきたえなければいけません。

 以前書いた記事です。

読解と解釈と鑑賞の違い


「それぞれの読み方があっていい」という考えは、基本的には誤りだ
 前の記事で「国語とは「論理的な読み方・書き方」を学ぶ科目」を書きました。

 同じようなことを齋藤孝氏が述べています。ここでは、「三色ボールペンで読む日本語」のp56~57を引用します。





「自分なりの読み方」と称した、勝手な客観性のない読み方が許谷されている現実には、私は我慢ができない。新聞の書評でさえも、著者の一番のねらいを外して勝手な印象を述べて悦に人っているケースを、しばしば見かける。

 日本における、客観性の軽視は深刻なものだと感じる。自分で相当知的だと思っている人でも、客観性(間主観性)を軽視あるいは蔑視さえする人がいる。これは、著者と自分以外の読者をないがしろにする傲慢な態度である。それだけでなく、読書に関してはとりわけ、意味のない立場だ。というのは、
本にはやはり著者が言いたい主旨というものが明確に存在するからである。

 私は、客観的な要約力のたりなさが、相互的な理解を妨げる要因になっていると考えている。私が、尊敬する先生の補佐として、ある市民大学のゼミを担当させてもらっていたときのことだ。どのような文章をテキストとして扱ったとしても、私たち講師二人の理解は常に一致していた。しかし、その他の参加者の意見はそれぞれまちまちであることが多かった。前提となる読みが狂っているのに、あれこれと自分の意見を強気に述べ立てる人がいるのには驚いた。文章を批判して自分の意見として主張していることがまさに、その文章の主旨であったりする場合さえよくある。

 基本的な要約ができていないのに突っかかるというのでは、生産的な議論になり得るはずがない。「それぞれの読み方があっていい」という考えは、基本的には誤りだ。読みのレベルが低いうちは、十人十色になる。しかし、読みのしベルが上がるにしたがって、その本の主旨に関する共通理解は、共有度が高くなる。



中3の教科書を小3の子が読み解いた
 福嶋 隆史著「『本当の国語力』が驚くほど伸びる本」に次のような記述があります。



「3つの力」は、学年の枠組みをも超越するのです。
それは、ある読解問題を小学3年生の子に解いてもらったときのことです。
その子は、ほぼ全問、見事に正解しました。
ところが、あとからよく調べたところ、その読解問題の文章は、中学3年の国語教科書に掲載されている文章と同一のものであることがわかりました。
つまり、中3の教科書を(たとえ一部であれ)小3の子が読み解いたというわけです。
それを知ると、その子はかなり驚いた様子でした。

しかし、私はさほど驚きませんでした。
 私の国語塾には、下は小学1年生から上は高校3年生まで幅広い学年の生徒が通っています。そんななか、小学3年生と中学3年生とでまったく同じ教材を使用していることなど、じつは日常茶飯車なのです。
なぜそんなことが可能なのか、とお思いでしょうか?

それはズバリ、「3つの力」の学習に焦点を絞っているからです。
小学生と中学生とが同じ教材を使用しているのは、小学生の子の学力が高いからでもないし、中学生の子の学力が低いからでもありません。
それは、「3つの力」の使い方に学年の差がないからです。
論理には、学年は関係ないのです。
まさに論理的思考の世界である囲碁や将棋の対局において、年齢が無関係であることと同じです。
 囲碁や将棋の論理がその長い歴史のなかで不変であったように、言語においてもまた、論理というものは永遠不変です。
たとえ日本語の使われ方や言葉の意味内容が、時代の流行とともに変化・変遷していくとしても、論理それ自体は決して変化しません。
だからこそ、論理的思考の学習は、国語力を確実に向上させ、子どもの将来を根本から支えるものであると断言できるのです。




 「進学塾不要論」にも似たようなことが書いてあります。(p30~31)




 小学生ぐらいですと,算数に比べて,国語の能力にはたいへん大きな個人差があります。低学年でも大人の文章を平気で読める子もいれば,高学年になっても低学年の子どもが読むような易しい本すら読めない子もいます。国語力の高い子であれば小学生であっても大学入試の国語の問題で合格点をとれるというのは,けっして珍しいことではありません。



 mixi友だちの123さんとの意見交換の中で,小学生の中に大学入試を解ける子がいたということを知りました。

 ありうることだと思います。

 例えば,中学2年で連立方程式を学びます。するとそれを学んだ子は連立方程式が解けるようになります。それを学んでいない生徒はまず解けません。

 しかし,国語はそうではありません。
 ぼくの塾では読書をさせています。中学生が読みとれない話を小学生が読みとることができるというのをよく目にしています。

 確かに,語彙力などは年齢を重ねることによって増えてきます。また,読解の力も少しずつついてはきます。

 ただ,中学生だからできる,小学生ではできないというものではありません。

「やばい」の意味は?
 「やばい !」
 「今度の期末テストどうだった?」と僕が尋ねたことに対する、K君の返事です。

 僕は、「そうか、この間よく頑張っていたから期待していたんだけど、残念だね」と返すと、

「いや、いい意味でのやばいです」とK君。「数学が○○点、理科が○○点・・・」とすばらしい点数です。

 そうなのです。最近の若者は「すごい、素晴らしい」というような意味で「やばい」という言葉をよく使っているのです。僕もこれまで何度か聞いて知ってはいたのですが、やはり僕の頭の中では「やばい」は「大変なことになるぞ。危ないぞ」というような意味なのです。

 言葉というのは変わっていきます。紫式部が使っていた「あはれ(あわれ)」は現在僕等が使っている意味とは全く異なります。言葉に絶対的に正しいということはありません。

 「やばい」も多くの若者がそのまま使い続けていくと、その意味も変わってしまうのでしょうね。

 6月28日(月曜日)、沖縄タイムス「声」に掲載されました。


福嶋隆史 (著) ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集
 福嶋隆史 (著) ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集〔小学生版〕 [単行本(ソフトカバー)]
 が届きました。

 おもしろいと思います。使ってみたいです。実際に「本当の国語力」が身につくことを期待できそうです。

 ただ,問題集,参考書はぼくら教える側が見ただけでは分かりません。実際に生徒に使わせなければ,いいかどうかは分かりません。

 もう今年度は走りはじめているので,来年度は使ってみたいという気持ちがあります。

 ただし,課題が。

 中学生に使わせたいと思っているのですが,国語というのは,読解だけではないのです。

 例えば,詩の形式(自由,形式,口語,文語),短歌,俳句の知識,またまた古典。歴史的仮名遣いなどです。

 読解だけのために,1生徒1470円で,その他の問題集を準備しないといけないので,大きいです。

 いまは「くもん」の問題集を使っていますが,すべてそろっているので便利です。

 「中学生用は?」という質問に,福嶋氏は「中学生でもこの問題集でいいです」とあったように思います。
 ぼくも読解に関してはそう思います。基本的に,読解に関しては,小学生も中学生もありません。

 ただ,そういうつもりなら(小学生版)というのはどうにかならなかったのかなあ,と思います。

 中学生にもプライドがあります。中学生なのに「小学生」のレベルをさせられているのかと思うとプライドが傷つけられます。

 ぼくは,中学3年で入塾する生徒にも英語は中1レベルからさせます。最初は不服そうです。後では中1から始めてよかったと言ってくれますが,・・・。

 (小学生から中学生まで)というふうにすることなど考えられなかったかと思います。

 または,早急に基本的には同じ流れで,少し変えて「中学生版」を作ったらどうでしょうか。

 小学生の部では,現在民衆社の「こくごだいすき」を使っています。
 こちらも,漢字語彙,読解,作文,文法が載っています。読解はあまりよくありませんが,その他はけっこうよくできていると思います。読解の部分だけ,ふくしま式ができればいいのに,と思いますが,2つの問題集を用いると費用の問題が出てきます。


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