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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

ずれがアイデンティティを考えさせる
 高校の同期生でmixi友だちの日記に

自分は日本人なんだなあと思う瞬間ランキング


 があり,彼のランキングが書かれていました。



 それに書き込んだぼくのコメントです。


 おもしろいね。
 ただ,ぼくは自分を日本人だ,ウチナーンチュだと思うことがほとんどないです。なぜか。日本にいて,そしてウチナーにいるからだと思います。

 アイデンティティーを考えるのは,それに少しずれがあるときではないでしょうか。ぼくは日本人であって,ウチナーンチュであり,そしてまわりの人もほとんどみなそうです。だからそれに何の不思議も感じない。考えようともしない。

 前に「心理学を学ぶ意義」ということで次の文を書きました。その中の服を着たゾウや新撰組の近藤や土方は,自分は何なのか,と問いかけ続け,そして,それに近づくために努力したのでしょう。

 だから,あなたのように日本,沖縄にいない人の方が,よりいっそう日本人,沖縄人というのを意識してしまうのかもしれません。だから深く理解もできるのでしょうね。ある意味,うらやましいです。


心理学を学ぶ意義

「本当は、いい子なんだよ」


 黒柳徹子著「窓ぎわのトットちゃん」p198~200から引用します。

校長先生は、トットちゃんを見かけると、いつも、いった。

「君は、本当は、いい子なんだよ!」

そのたびにトットちゃんは、ニッコリして、とびはねながら答えた。

「そうです、私は、いい子です!」

そして、自分でもいい子だと思っていた。

たしかにトットちゃんは、いい子のところもたくさんあった。みんなに親切だったし、特に肉体的なハンディキャップがあるために、よその学校の子にいじめられたりする友達のためには、他の学校の生徒に、むしゃぶりついていって、自分が泣かされても、そういう子の力になろうとしたし、怪我をした動物を見つけると、必死で看病もした。でも同時に、珍しいものや、興味のある事を見つけたときには、その自分の好奇心を満たすために、先生たちが、びっくりするような事件を、いくつも起こしていた。
例えば、(中略)

 でも、おそらく、トットちゃんに関しては、苦情や心配の声が、生徒の父兄や、他の先生たちから、校長先生の耳にとどいているに違いなかった。だから校長先生は、トットちゃんに、機会あることに、

「君は、本当は、いい子なんだよ」

といった。その言葉を、もし、よく気をつけて大人が聞けば、この「本当は」に、とても大きな意味があるのに、気がついたはずだった。

「いい子じゃないと、君は、人に思われているところが、いろいろあるけど、君の本当の性格は悪くなくて、いいところがあって、校長先生には、それが、よくわかっているんだよ」

校長の小林先生は、こう、トットちゃんに伝えたかったに違いなかった。残念だけど、トットちゃんが、この本当の意味がわかったのは、何十年も、経ってからのことだった。でも、本当の意味は、わからなくても、トットちゃんの心の中に、「私は、いい子なんだ」という自信をつけてくれたのは、事実だった。だって、いつも、なにかをやるとき、この先生の言葉を思い出していたんだから。ただ、やったあとで、「あれ?」と思うことは、ときどき、あったんだけど。

 そして、トットちゃんの一生を決定したのかも知れないくらい、大切な、この言葉を、トットちゃんが、トモエにいる間じゅう、小林先生は、いい続けてくれたのだった。

「トットちゃん、君は、本当は、いい子なんだよ」って。



 いいですね。この本は何年も前に読んだのですが,この部分は印象深く記憶に残っています。そして,ブログにも残しておきたいと思って書き写しました。

 これに解説を加えるのは,蛇足になりますが,

 子育ての根本ですね。子どもをきちんと受け止め,信頼する。そしてそれをきちんと伝える。
 子どもは安心できる基地があることが分かると,自分で羽ばたいていきます。遠くまで行ってもいつでも帰るところのある場所がある,というのが自分の力を十分に伸ばし,自立することにつながるのですね。
 このような言葉が子どもの自己評価を高めて自信を持つのでしょう。

心療内科:城間クリニック
 ぼくが心理学を専攻したためでしょうか、心の相談にみえる方がときどきいます。中には鬱病かもしれないと思われる人もいます。
 しかし、心理学を大学で学んだだけで心の相談ができるわけはありません。

 ぼくはていねいに話を聴いて、そして分かる範囲では相談にのっています。

 でも、鬱病かもしれないと思ったときは、心療内科にでも行った方がいいと思いますよ、とアドバイスをします。体が病気なら病院に行くでしょう。心も病気になるんだよ。だからそういうときは病院に行けばいいんだよ、と。

 ところが、この心療内科、いろいろだそうですね。中には金儲けとしか考えていない医者もいるようです。薬をたくさん出してもうける。以前、クローズアップ現代でやっていました。

 「城間クリニック」といういい心療内科があるよ、という話を伺いました。それで、ここに載せておきます。ぼくが直接確かめたわけではないのですが、一つの情報として残しておこうと思うからです。

 おじの家に行きました。いとこは重い鬱病です。だいぶ顔を見ていませんでした。しかし、そのとき久しぶりに顔を見せてくれました。思ったよりも元気そうです。

 「病院を変えたのよ」、とおばが話しました。

 前の病院は薬だけ多くて。そして、私が話を聴きたいといってもなかなか会ってくれなかった。やっと会ってくれたかと思ったら、自分は仕事をしながら、目も合わせてくれない。そして、勝手に話してくれ、という態度だった。

 いい病院があるといううわさを聞いて変えてみたの。城間クリニックという。
 とてもいい。とにかく話をよく聴いてくれる。薬も一つひつと確かめながら減らしていっている。1つを減らして、そしてその後の状態を聞いて、よければそのまま減らし、次の薬を検討するという感じ。
 前の病院では、何か悪いところが出てくると、それに対する薬を増やしていくだけだった。
 病院を変えてから、ずいぶんよくなってきた。まだ半年くらいだけど。
 ただ、予約してもすぐにはできないのよ。希望者が多くてずいぶん待たされた。


 いとこも時々話に加わってくれました。話をしているいとこは特に悪いところもありません。そのままよくなってくれることを願っています。


城間クリニック





知ってしまったく知らなかった心理に戻れない
 ガソリンスタンドでいわれました。「この車、車検が切れていますよ」

 びっくりしました。もう数か月も前に車検が切れているのです。まったく知りませんでした。そして,それを知ったらもうびくびくです。ガソリンスタンドからすぐ近くの自宅まで車に乗って帰るのも冷や汗をかきながらです。もちろんすぐに車検に入れました。

 この数カ月間、全く平気で乗っていたのに、車検が切れたことがわかると,もう平常心ではいられなくなります。

 このようにあることを知ったあとの心理は、知らなかった時の心理と全く異なるのです。

 旧約聖書のアダムとイブは蛇にそそのかされて、「知恵の実」を食べてしまいます。そして、そのために知恵がつき、実を食べて後はもうすっかり以前とは異なり,自分が裸でいることを恥ずかしく思うのです。

 このような例はいくらでも見つかります。私たちは何か知った後はそれを知らなかったときとまったく違った心理になるのです。

 私どもの塾では年齢の異なった生徒が一緒に学習しています。

 年少の生徒が問題を解くのに四苦八苦してると、年長の生徒が横で笑って、「こんな簡単な問題も解けないのか」というのです。自分も1年前は同じようなものだったことをすっかり忘れてしまっているのです。

 その問題について,すでに学び終わった学習現在完了の年長の者が、現在まさに学んでいる学習現在進行中の年少者を笑うのです。

 私ども教える側も同じようなものです。私どももいろいろなことに関してまだ学習現在進行中ですが,子どもたちに教えることに関してはもう現在完了です。もうすでに学習は完了していることを教えているのです。そして、そのことに関して現在進行中の生徒たちを見ると、なぜそんなこともわからないのだろう、と思ってしまいます。

 それで「これはさっき教えたばかりではないか」や「また同じ間違いをする」と、つい口に出てしまいそうになります。

 しかし、ここでちょっと立ちどまって、自分も学習現在進行中の時にはその子と似たようなものだったのではないだろうかと自分を見つめるようにします。もうすっかり忘れてしまっているのですが,自分も子どものときはそうだったのかもしれないのです。

 そう考えると,こんなことも分からないのか,という気持ちが少しは遠のいてくれます。そして,この子が分かるように教えるにはどうすればいいのかという工夫の心が起こってくるのです。

今朝の琉球新報「論壇」に掲載されました。


ブログを読んでもらいたいなら、相手に関心を示せ
 ツイッターで、つぎのようなダイレクトメールが届くことがあります。

フォローありがとうございます。私のブログもご覧ください。



 中には、経営のコンサルタントをしている人がこのようなメールを送ります。

 正直言って、このようなダイレクトメールは工夫が足りないな、と思います。
 これでは、その人のブログを見たいという気になりません。

 もっと勉強してほしいです。カーネギーの「人を動かす」という本を読んでもらいたいです。





 僕は大学を卒業する前後に読みました。大変感銘を受けました。人を動かす方法が満載です。

 人を動かすには、どうしてほしいというの伝えるのもいいですが、それよりも相手に関心を示すということがとても大切になります。

 自分のことに関心を示してくれる人の言うことは、素直に聞くことができるのです。

 ブログを読んでほしいのなら、相手のブログをまず読むことです。

 ぼくのブログを読んだ形跡もないままで、ブログを読んでくれ、では、読みたくなりません。

 そして読んだことに対して何らかのメッセージを加えて相手に伝えたらいいでしょう。

 「ブログよみました。感銘を受けました」というような、だれにでも当てはまるようなことを書いても、自分のことに関心を示しているとは思いません。

 この人は本当に自分のブログを読んでくれたんだな、と思うようなメッセージでなければいけません。だから、本当に読まなければいけません。

 そのような人のメッセージなら素直に耳を貸したくなるものです。

 ブログの中に反論、批判したいようなことがあっても、とりあえずは触れないで置きます。

 そして共感できることを取り上げて、「私も同じように思います」「初めて知りました。勉強になりました」と言うように、相手をほめる言葉を書くといいでしょう。

 おべっかを使うというのではありません。本当にそう思うようなところをさがすのです。

 そのあとに、少しだけ「私もブログしています」ということが書かれていたら、読んでみようかなという気持ちになるものです。

サービスは人のためならず
 パーソナルコンピューターを使い始めたころですから、もうだいぶ前のことです。

 ワードで数学の教材を作っていました。円すいの見取り図を描こうとしていました。

 底面のところの見えない線を破線で描こうとするのですが、なかなかうまくいきません。

 それでコンピューター専門店で教えてもらおうとしました。そこの店員は、ワードを使って円錐を描きました。しかし、
 その描き方を僕に教えてくれないというのです。

 その店で、パソコンを買ったのではないからだそうです。
 その店でパソコンを買った人にだけやり方を教えるサービスをしているということです。

 僕はとても嫌な気持ちになりました。

 たぶん店員にすれば、次からはそこでパソコンを買ってサービスも受けたい気持ちにさせたかったのでしょう。

 でも僕は、こんな店からはもう利用しないぞ、と思ったものです。

 さて、もうひとつ、別の例です。

 ぼくは本の注文があった時には郵便局の冊子小包を利用しています。

 英語や数学の注文が入った時、一冊ならばポストに投函することができます。でも、二冊以上だとポストの口から入らないので郵便局に行くことになります。

 でも、夜中に荷造りをして、コンビニエンスストアに預けた方が早く注文主に届けることができます。だからコンビニエンスストアに持って行きます。

 さて、長い間使っていたコンビニエンスストアのHストアが系列が変わりCストアになりました。そして、これまでかかっていた郵パックののぼりがなくなっています。系列が変わって郵便局関係のことをしなくなったのかと思いました。

 それで別のコンビニエンスストアのRストアに行きました。そこには郵パックののぼりが立っていたからです。

 ところが、ゆうパックのように、そこでお金を支払うものに関しては預かるのですが、その他については預かってくれないというのです。郵便局員が回ってきたときにそれを手渡せばいいだけなのですが、それをやってくれないのです。

 僕は困りました。しばらくは、翌日郵便局まで行きました。

 しかし、前に利用していたCストアに郵のぼりが立ちました。冊子小包も預かってくれると言ってくれました。

 僕は冊子小包を預けるときには、お礼のつもりもあって、ちょっとしたつまみなども買ってきます。たいした金額ではないのですが。

 冊子小包を断ったところには、できるだけ行かないようにしています。

 「情けは人のためならず」という言葉があります。
情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来るという意味です。サービスも同じです。


 「サービスは他人のためならず」です。

 サービスをすることによって店の印象を良くし、その店を利用しようという気にさせるのですね。

心理学と読心術
 大学時代、心理学の小牧先生(当時助教授)の話です。

 大学で心理学を教えていると自己紹介すると、自分の心が読まれてしまうのではないかと少し引くような態度に出る人がいる。
 その時には、いや人間ではなく動物心理学です、と言うようにしている。すると相手も安心して話を続けてくれる。

 確かにそういうものかもしれません。心理学というと読心術だと思う人が結構います。

 心理学を学ぶと、相手の心を読む技術が身につくと思うのでしょうね。

 確かにそういうところが全くないわけではありません。

 ボディラングエージという分野がありいます。人間の心というのは態度にあらわれるものですから、その態度が何を伝えようとしているのかを研究するのですね。

 「目は口ほどに物を言う」ということわざもあります。目を見れば相手の心を読むことができるということです。

 でも、心理学を学んでよくわかったのですが、人間の心というのは簡単に読むことはできないのです。

 僕は心理学を学んで、かえって相手の心を読もうとしなくなったように思います。

 人間の心はとてもとても複雑です。心とは逆の態度にわざと出ることもあります。

 好きな人にわざときつくあたってりすることはよくありますね。

 人によっても態度に差があります。そのあたりをすべて考慮しないといけません。

 だから心理学を学ぶようになってから安易に人の心を読まないようにしているのです。

 心理学の一分野に行動主義というのがあります。それは、心というのは読むのが難しいから、表に現れた行動だけを学問の対象にしようというものです。

 その立場に立った行動主義がとても発達をとげています。

 一般的な意味での読心術というのは、無理だと考えた方がいいように思います。

 ただ、身近な人の心を読むことはある程度できますね。

 妻が夫の態度に不信を感じて調べてみたら浮気をしていたということは実際にありうることです。

 長い間一緒に暮らしていると、その人の行動と心がわかるのですね。

 そして女の直感というようなのが働く。すると相手の心が見えてくるというようなものです。

 それは、学問として心理学を学んで身につけるというよりも、日常生活の中で自然に身につくようなものだと思います。

 僕は心理学を学びましたが、そういうところはかなり下手だと思っています。

逆向抑制
 前の記事では Shunya君があり得ない値が出たということで戸惑っていたことをかきました。

Shunya君は掛け算の計算の時に、分子と分母をひっくり返してかけていたのです。

 つまり、分数の割り算の計算方法でかけ算をやってしまっていたのです。

 その直前まで、Shunya君は分数の割り算の計算を学習していました。

 その前には分数の掛け算を学習しました。

 分数の掛け算の時には全く迷うことなく計算することができるようになっていました。

 しかし、分数の割り算を学んだために、掛け算の計算があいまいになってしまったのです。

 このように、別の事柄を学ぶことによって、その前に学んだことが阻害されることがあります。

 別の例をあげます。

 中学1年では正の数と負の数について学びます。

 足し算、引き算について学んで後で、かけ算、割り算を学びます。

 足し算、引き算の時には、少々戸惑いながらも何とかできるようになったとします。

 そして掛け算、割り算に移ります。そして掛け算、割り算のやり方もマスターします。

 掛け算では プラス×マイナス=マイナス です。それが頭に刻み込まれます。

 すると、前に習った足し算でもそのようなことをしてしまうのです。

 (+5)+(-3) =-2 などとやってしまうのです。「プラスとマイナスならマイナス」という掛け算でのやり方が足し算のやり方を阻害してしまっているのです。

 前はちゃんとをできていたのになぜできなくなっているのか、と思ってしまうのですが、それが普通なのです。

 心理学ではそれを「抑制」と云います。そういうことはとてもよく起ることなのです。だから指導するときには、そういうことが起こるから、そのつもりで抑制されたことをさらに、深く学んで、どちらもできるようにする必要があります

順向抑制と逆向抑制

順向抑制とは、あることを学習(記憶)することにより後続の学習(記憶)が阻害され、後続の学習内容が忘却されること。順向干渉ともよばれる。

一方、逆向抑制とは、2つの事柄を学習(記憶)するとき、後続の学習(記憶)により先行の学習(記憶)が阻害され、学習内容が忘却されること。逆向干渉ともよばれる。抑制の要因としては、先行・後続の学習材料の類似度、学習量など。


生活に密着するほど、言葉は分化
 生活に密着するほど、言葉は分化します。

 西洋人は狩猟民族です。牧畜が盛んです。

 だから牛や羊といったものと非常に密接に生活しています。

 その西洋では、「牛」と言っても英語にするといろいろです。

〔雌牛〕は cow、〔雄牛〕はbull、〔労役用の去勢雄牛〕は ox、〔子を産んだことのない若い雌牛〕はheifer、〔子牛〕はcalfです。

 日本語は、雄牛(雄の牛)という感じで、説明した語であって、別の語ではありません。

 日本語の「馬」は、英語になると
【馬】horse; 〔雌馬〕mare 〔種馬〕stallion, stud; 〔子馬〕foal; 〔雄の子馬〕colt; 〔雌の子馬〕filly; 〔小形種の馬〕pony となります。

 では、日本語はどうでしょうか。

 日本語の、「米、御飯、稲」8を英語にするとすべてriceです。日本人はお米といっしょに暮らしているので、米、御飯、稲をきちんと区別するのですね。

 「私は稲を育てる」でも「I grow rice.」とriceになります。

 「米を食べる」とは言いますが、少し意味が違います。または知っていて故意に「御飯」を使っていないのです。

 水、お湯は、英語では、water, hot water です。「温かい水」と説明的な語になります。西洋より水を大切にしてきたのでしょうか。

 you, I を日本語にすると多くなります。人間関係に敏感なのでしょうか。

 日本語では、米と御飯を区別すると書きました。西洋では、動物とその肉を区別しますね。

 例えば、生きているときは牛ですが、それが肉になるとビーフ(beef)になります。

 ビーフ(beef)を日本語にすると「牛肉」です。牛の肉ということです。説明的語で別の語とはいえません。

 豚の場合には、肉になるとポーク、鶏はチキン、羊はマトンとなります。

 日本語では、豚肉、鶏肉、羊肉と説明的です。

 職業や趣味によっても使い方がちがってきます。

 ぼくにとっては「花」は「花」であればいいです。

 「あの小さな青い花」と言えば十分です。
 
 ところが、花屋さんになればそうはいきません。 
 「キキョウ」という名を知らなければ、仕事ができないでしょう。
 
 そして固有名詞がでてきます。

 名前をつけて他と区別するのです。

 他人にとっては、ただの男の子。でもその親にとっては、「太郎」になるのです。

 このように言葉というのは、生活に密着するほど名前は分化してくるのです。

反動形成
 Mixiで相談を受けています。

 ある生徒に怒鳴られる、あちこちに「死ね」とを書かれる、大きな声で笑いものにされる、などです。

 はっきりはわかりませんが、僕の推測では、「反動形成」ではないかと思います。

 それで「反動形成」について説明します。まずは国語辞典から書き出します。

はんどう‐けいせい【反動形成】
心理学で、自我の防衛機制の一。抑圧された欲求と反対傾向の態度が強調して示されること。例えば、憎しみの感情に対抗して、反対の甘やかしが生じるなど。



 例えば、継母が継子を憎いと思います。
 でも、人を憎むことはいけないことだと思っています。
 だからその子を憎んでいる感情を抑え込みます。
その反動形成で、その子に必要以上に優しく接するのです。

 次は、逆のパターンです。
 小学生などによくあることです。
 男の子が同級生の女の子を好きになります。
好きだというのは恥ずかしいので、逆に、その子をいじめる、という行動に出てしまうのです。
 みなさんの身近な例にもありませんか。

 この相談の場合には、生徒が女性教師を好ましく思っているのではないでしょうか。
仲良くなりたいと思っているのではないでしょうか。
 でもその感情を恥ずかしいと思い、抑え込もうとします。
 その反動形成として、悪口を言ったり、意地悪をしたりする、という行動に出てしまうのです。

 さて、それに対してどうするかです。

 悪口を言ったりする行動は無視すべきです。
 それに対して叱ったりすると、その子の思うつぼです。
 悪口を言うと、その先生と関わりをもつことができるのですから、悪口を言うという行動は強化されます。

 無視するのはいいのですが、すべてにおいて無視するとどうなるか。

 この程度の悪い行動では関心を持ってくれないと、その子は思い、さらに意地悪の度合いを強めていきます。
 これでもか、これでもか、これだけ悪いことをすれば無視はできないだろう、という感じでエスカレートしてしまうのです。

 それで、悪い行動を無視するという一方で、悪くない行動を強化する、ということが求められます。

 いい行動である必要はありません。悪くない行動でいいのです。

 静かにすわっている。友達とにこやかに談笑している。授業を静かに聴いているなどなどです。
 当たり前の行動ですね。それでいいのです。

 そういう行動をしているときに、関心を示すのです。

 友達と談笑しているときには、一緒にそのなかに加わりましょう。
 静かにすわっているときには、「○○君、今日は何かいいことあった?」などと語りかけましょう。
 静かに授業を聞いている時には、視線を彼に向け、ほほえみ、ちゃんとやっているね、ということを目で伝えましょう。

 こういうことでいいのです。そういう、当たり前のことに関心をしめせば、
ぼくがこういうことをやっていれば関心を示してくれるんだ、ということが分かってくれます。
 そうすれば悪い行動はとらなくなるはずです。

次のページも参考にして下さい。

湿けたポテトチップの法則

両立しない行動を強化する

「女の子がいないとだめだね。」・・・中学2年生は男の子だけ。テスト範囲も知らせない
中学生は中間テストのテスト勉強対策を行っています。

生徒には、
学校で発表されたテスト範囲を私どもに知らせるように言ってあります。
1年生と3年生のテスト範囲はわかりました。ちゃんと調べて私どもに教えてくれたのです。

しかし、2年生はまだです。

Kyokoが言いました。
「2年生はまだだよ。早く持ってこないと、どこを勉強していいか分からないよ」と。

それを聞いた中学3年生のS君が言いました。

「女の子がいないとだめだね。」

そうなのです。このようなのは女の子がいいのです。女の子は真面目です。ちゃんと知らせるべきことはきちんと知らせてくれます。

男の子はルーズなのですね。1年生と3年生には女生徒がいます。しかし、今年の2年生は男の子だけなのです。そして、またそれぞれがのんきな子です。

僕は、大学では男女の性格の差というのは環境によるものだと教わりました。そしてその時はそう信じていました。

しかし、保育園をやり、学習塾をやって子どもたちと接するうちに、その考えが変わりました。

男女の性格の差は生まれつきのものです。

これはどちらが優れているとかいう問題ではありません。とにかく違うのです。

こういう、テストは範囲を知らせるということにおいても確実に差が出てくるものなのです。

面白いものです。

豆腐を持っていくのを忘れないように、冷蔵庫の中にカギを置いておく
Kyokoが、塾の冷蔵庫に豆腐を入れておきました。それを家に持ち帰って料理をするつもりでいます。しかし、持って帰るの忘れてしまうのです。

 塾から家に持って来るとき、たいていの場合は忘れないように、毎日持って帰るかごの中に入れておきます。

 しかし、豆腐は籠に入れておくわけにはいきません。冷蔵庫の中に入れておかなければ腐ってしまいます。

 それで、つい豆腐を持って帰るのを忘れてしまうのです。
 沖縄の豆腐は、本土のものに比べると日持ちがします。冷蔵庫の中に入れておけば数日はもちます。それでも早く使わなければいけません。

 それで、僕が、車のカギを豆腐の上に置いておけばいいんじゃないかな、と提案しました。

 「なるほど」と妻も感心。早速実践しています。

 さて、昨日妻の車を借りようと思い、カギを探すのですが、いつもの場所に見つかりません。妻に尋ねると、冷蔵庫の中だとのこと。ミルクを持って帰るの忘れないようにそうしているとのことです。
 僕は冷蔵庫から鍵を取り出しました。リモートコントロールのカギです。

 そして、いつものように車に向かってピッとスイッチを押すのですが、反応しません。

 冷蔵庫に入れていたために、カギの中の電池が冷え切って、動かなくなってしまったのです。
 しばらくすると、あたたまったようで、使えるようになりました。

 暖かい沖縄ではあまり経験できないことです。

ユング心理学への違和感・・・香山リカさんに共感
 香山リカ著「スピリチュアルにハマる人,ハマらない人」を読んでいます。なかなかおもしろいです。


 その序章に「ユング心理学への違和感」という節があります。

 香山氏は

「『日本ユングクラブ』なるユング派の協会のような組織にも入会し」

ますが、

 「ユングの著作を読んでいくと、どうしても『錬金術』『幽体離脱』『輪廻転生』『チベット密教』などに突き当たり、それらを肯定的に受け入れなければならないことを知っ」

て,
 ユング心理学に違和感を感じるようになった,そうです。

 僕は大学で心理学を専攻したので、ユングについては入門的なことは一応知っています。
 心理学の概論や、フロイトについて読むと必ず出てくる人です。

 それで、読まないといけないという気はあったのですが,どうしても読む気になれませんでした。

 どうも科学的とは言いにくいような理論に思えたからです。

 批判的に考えるにしろ、一応は知らないといけないだろうと思いましたが、どうしても彼の本を読む気になりませんでした。

 香山氏のその部分を読んで、やはり僕が違和感を感じるのはそのあたりだったと思っています。

 ユングはやはりそういう人だったんだと思っているところです。

セルフ塾の電話機の前に両眼の絵
 セルフ塾の電話機の前に両眼の絵を貼りました。

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me2.jpg

 テレビで、目の写真があると、人はインチキをするのが少なくなるということをやっていました。

 そのことを書いたブログがあったので、転載いたします。

目”は監視カメラよりも安上がり?

 ニューカッスル大学の研究者が、仲間を実験台にして面白い調査を行った。同大学の心理学部の休憩エリアでは、自由に紅茶やコーヒーなどをいれて飲めるようになっており、利用した人は、置かれている料金箱にお金を入れるシステムになっている。

 研究者たちは、10週間の間、料金箱が置かれている食器棚の戸に、1週間は花の写真を、次の1週間は両目の写真を交互に張った。両目の写真は、男、女、警戒や躁病を表す目つきというふうにいろいろに変えられた。

 このようにして、1週間ごとに料金箱に入れられたお金を集計してみると、両目の写真が張られていた週の合計金額は、花の写真が張られた週のそれよりも276%多かった。




 それをまねたのです。

 セルフ塾の電話は、電話料金入れに10円を入れてかけるようになっています。

 でも、僕もずっと監視をしているわけではないので、入れないでかけている人もいるようです。

 それでこのようなことをしたのですが、効果のほどは全くわかりません。少しでも効果があればいいのですが。

2012年度 沖縄県県立高校入試採点基準表(数学)
2012年度 沖縄県県立高校入試採点基準表(数学)
平成24年度 沖縄県県立高校入試解答(数学)
きょうこ琉球新報より

数学1

数学2



新しいやり方をやりたがる人 古いやり方で満足する人
先日、喫茶店でSさん、Hさんと一緒になりました。Sさんが集金したお金をHさんに手渡しています。

  その時に お互いに電卓をたたいて、 金額を確認していました。

  受け渡しが終わったとき、僕は2人に尋ねました。
  「電卓に(M+)とか(M-)ってあるでしょう。 あれは何なのか分かる?」

 2人とも 知らないとのこと。

 それで僕は簡単に その説明をしました。 ところが2人ともそれにまったく関心を示しません。

 Hさんは、「僕はひとつひとつ 入力しています」と言っています。
 Sさんは「僕は覚えているんだよ。そしてそれを足していくんだ」と。
  僕は(M+)と(M-)の使い方が分かればもっと便利だけどな、と 軽く勧めましたが、それ以上は言いませんでした。

  人間には 2つのタイプがあります。 新しいやり方を やりたがる人と これまでのやり方を満足する人です。

  僕は、新しいやり方をやりたがる方です。ぼくは、自分は普通で、まわりのみんなもそうなのだと思っていたのです。

  そしてそれが便利だと思うと、 若い頃には周りの人にもよくすすめたものです。

  ワープロが出回った頃、そしてパソコンが 普及した頃。
  僕はそれを使ってみて、便利さを知り、周りの人に勧めたものです。
 特に知人の村議会議員には進めました。議員はパソコンが絶対に学ぶべきだと思い、かなりしつこく勧めたものです。

 でも、まったく耳を貸しませんでした。

  このような経験を いろいろ積んだ後、 人間には 2つのタイプがあることを学んだのです。

 これまでのやり方で なんとかやって来た人は、特に新しいことに挑戦しようとは思わないようなのです。これまでのやり方でできるのだから、 それでよしとするのでしょう。

 自らが便利だから 学ぼうと思わない限り、 なかなか人間というのは変わらないものなのです。

ここで簡単に 電卓の M+キー、M-キー-の使い方を説明します。

 例えば、8×2+4×3+5×9 - 2×8 をやってみます。

  ふつうは、それをそのまま 電卓で 叩くと、とんでもない値が出ますね。

  それで、 次のようにします。
  8×2(M+)4×3(M+)5×9(M+)2×8(M-)
 (M+)は、M+キー、(M-)はM-キーのことです。()は入力しません。
そして MRキー をたたくのです。すると、答え 57が一発で出ます。

 8×2(M+)は、8×2して加えたことを覚えておきなさいよ、
 2×8(M-)は、2×8して引いたことを覚えておきなさいよ、
 MRは、それまで覚えたことを出しなさい、ということですね。



人間の行動は全て自分の欲求を満たすため
 昨日書いた 文に フェイスブック上でコメントをいただきました 。
いつもさらに深く考えさせてくれるコメントをありがとうございます。
自己中心性と利己的とは違うもの

結構難しい問題ですね。将棋の例えでは相手の思考法を読むのは相手を打ち負かすという利己的な面もあるのかなとも思えるし、ワープロを勧めるのは相手の意向はともかくとしてもワープロを使うと大変便利でその後の仕事がはかどるという相手の利益のことを考えている訳だし、自己中心性と利己的の境界はなかなかに微妙な問題のようですね。


 確かにその通りだと思います。

 ただ、自己中心性と利己的とは区別が難しいというよりも 利己的な行動と利己的ではない行動の区別が難しいのだと思います。

人間の行動は全て自分の欲求を満たすためのものです。 食欲、性欲、認知的欲求などなど。
‎ 自己犠牲を伴う利他的行動については今横に置いておきましょう。

それでは全て利己的行動なのかと言うとそうではないでしょう。

利己的行動というのは「自分だけ」の利益を考えての行動です。
他の人の利益を犠牲にしてでも自分は得をするんだという行動ですね。

でも普通は他人の 犠牲の上ではなく自分の 利益を求める行動をします。

ただそこの区別は難しい。

別に「自分だけ」というつもりではなくても結果的に自分だけ の利益ということもあり得るでしょう。そうならないようにするのも結構難しい。

だから自己中心性から脱していても利己的だと考えられる行動もあるわけです。

また利己的な人は自己中心性から脱してないことが多いのではないでしょうか。

利己的な人は他人のことは考えようとしません。 自分の利益だけですから。

そのような人は 他人の立場に立つ気がないので自己中心性のままの思考をすると思われます。

確かに色々絡んでいますね。


心理学は学習塾で大いに役立った

先日高校3年のクラス会を行いました。

そこで僕が僕は大学で心理学を専攻したこと、 そして学習塾をしていたことを語りました。

すると クラスメートの一人が 心理学とは別の道を行ったんだねと言いました。

僕はいや 心理学は学習塾にとても役に立った。 子どもが学習するうえで一番大切なのはやる気、動機づけ である。 そのやる気を出させるために心理学をかなり利用したよ。 と言いました。

学習塾と心理学は全く違うように思われるのでしょうね。

僕は心理学をやって良かったと思っています。

僕は 塾で使う教材はほとんど自分で作りました。
それらは 行動主義心理学者のスキナー博士のプログラム学習の原理を意識して作りました。 一歩一歩 階段を上るように少しずつ進んでいく教材です。

このように 大学で学びその後も学び続けた心理学が学習塾でもだいぶ活かされてきたと思います。

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